A m o s   G a r r e t t
I n t e r v i e w 2

by Takeshi Kobayashi
"Bare Back No.16 1979.6"

Sorry ! Japanese Only !


-------まずイアン&シルビアと一緒に演奏を始めたきっかけから話して下さい。
Amos: 彼らと演奏を始める前からイアンとは友達で、一緒にたくさんのパーティーに行ったものさ。それはローカル・バンドでギターを弾いてた頃で、イアンとパーティーに行っては女の子を追いかけていたよ。 いろいろとおもしろいことがあってね。その頃僕はエレキ・ギターを弾いていたけど、イアン&シルビアはいつもアコースティックだった。でも彼らはエレクトリック・バンドを組むことにしたんだ。 イアンの考えがグレート・スペクルド・バードになり、それは最初のカントリー・ロック・バンドなんだ。 ザ・バーズがカントリー・ロックをやり始める前のことさ。イアンは僕に「君のエレキ・ギター・プレイが気に入っているのだけど、一緒にバンドをやらないか。エレクトリック・カントリー・ロックのバンドなんだ」と、行って 来た。それで、僕はイアンに「カントリー・ロックって何だい」とたずねたよ。カントリー・ロックをやり始めたのはグレート・スペクルド・バードが最初だよ。

-------ベター・ディズはどうやって結成されたのですか?
Amos: 全員ウッドストックに住んでいたけど仕事をしていなかった。ポール・バターフィールドもバンドを持っていなくて、これまた一緒にパーティーなんかで酔っぱらっては女の子を追いかけていた。 いつもバンドを組もうとは言ってはいたけど、ある晩バーで話している時、バンドを組もうと決めたんだ。

-------いつアメリカに来たんですか?
Amos: アメリカに来たのは1970年。最初に日本で演奏した直後さ。大阪のエクスポでの演奏がイアン&シルビアとの最後の演奏だったよ。大阪のあとウッドストックへ行ったんだ。

-------次に、ハングリー・チャックについて話してください。
Amos: ハングリー・チャックは、バンドとしてのライブ演奏は一度もしなかった。レコードだけなんだ。基本的にはグレート・スペクルド・バードと同じだけどね。ジョフ・ガッチョンはすぐれた建築家でもあって、ニューヨークにあるレコーディング・スタジオのインテリを、ただでやってあげたんだ。 そしたらそのスタジオをしばらくただで使わせてくれた。ジョフ・ガッチョンはいくつかの曲を持っていたので、僕らもただでセッションにつきあってレコーディングしたのさ。そのテープをベアズヴィル・レコードのアルバート・グロスマンに聞かせたら、アルバムを作らないかと言ってきた。 最初のセッションでは5曲しか録音できなかったので、あと6曲録音してあのアルバムを完成させたんだ。 でもそのバンドはツアーが出来なかった。各メンバーが違った音楽に興味を持っていたし、僕もベター・ディズとして演奏していたからなんだ。 もしあのアルバムがヒットしたらツアーをしたかもしれないけど、そうはならなかったしね。

-------ところでハングリー・チャックのアルバムに、あなたが日本の学生帽をかぶった写真が入っていますね。どこで手に入れたんですか?
Amos: あの写真は大阪で写したんだよ。70年にね。

-------話は変わりますが、あなたの家でリチャード・ラスキンがギターを弾いている写真を見たことがあるのですが、彼はどんな場所で演奏しているのですか?
Amos: 彼はクラブでよく演奏している。素晴らしいギタリストだよ。

-------彼の他には、どんなギタリストがいますか?
Amos: たくさんいるよ。カリフォルニアにロイ・ロジャースという名前のギタリストがいる。 僕が聞いた中では彼がベストだね。アコーステックもエレクトリックも弾いている。彼はウォーター・ハウス・レコードからアルバムを出していて、ディブ・バージンというハーモニカ・プレーヤーも参加しているよ。 ロイはレコードでギターの他歌も歌っているけど、本当に素晴らしいギタリストさ。 スティーブ・グッドマンも素晴らしいアコーステック・ギタリストだよ。

-------今日はどうも、ありがとうございました。



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