"Motorcycle Mama" という曲が1972年6月に全米ポップス12位のヒットになった Sailcat というマッスル・ショールズ産のバンド。 実はバンドというより、John D. Wyker と Courtland Pickett の二人によるユニット といったほうがよさそう。そしてバンドのコンセプトは John D. Wyker によるものなので、やはりまずこの人について語ってみたい。

そもそも、John D. Wyker という名前を初めて目にしたのは、1986年 の Eddie Hinton 3枚目のアルバム、Letters From Mississippi のプロデューサーとして。 全く彼が何者か知らなかったが、Mighty Field of Vision を通してEddie Hinton のサポートを積極的にしている人ぐらいの認識だった。

その後、色々と調べて、ある程度どんな人物か分かってきたのでJohn D. Wyker 氏の経歴を述べていきたいと思います。

John D. Wyker 氏の経歴 は 長いのでこちら にまとめました。

さて、次に Courtland Pickett について説明したいところですが、実は本名が William Courtland Pickett というだけで、経歴とか全く分からないんです。

Wikipedia によると元々ジョージア州 Macon 生まれで Sailcat 結成直前に アラバマ州 Tuscaloosa に 移住してきたようです。

とりあえず、昔から持っていたアルバムにCourtland Pickett が参加していた事に最近気づきました。それが1970年の Sundown の同名アルバム。 まだキャプリコーン・レーベル発足前、アンペックスから出ていた6人組バンド。Paul Hornsby プロデュース、キャプリコーン・スタジオ録音。

メンバーにはChuck LeavellやLou Mullenix の名前も。

その後 前述のJohn Buck Wilkin の1970年のソロ・デビュー・アルバムでマッスル・ショールズで録音するようになり 1971年から Swamp Dogg こと Jerry Williams, Jr.プロデュースの Quivy Recording Studio でのレコーディングにChuck LeavellやLou Mullenix も一緒に三回呼ばれています。Worksを参照。 そしてそのセッションのリード・ギターが ピート・カー でした。ちなみに ピート・カー は最初のころは Jesse Carr 名義で参加してます。

1971年10月から翌72年2月にかけて、Ron Ballew がオーナーを務めるWidget Recording でSailcat のMotorcycle Mama というアルバムの製作にかかります。 エレクトラ・レコードとの契約にはピート・カーとRon Ballew の二人が大きく関わっているようです。 ちなみに、ピート・カーはまだこの時点でマッスル・ショールズ・スタジオでも録音していないし、もちろんスワンバーズの一員にもなっていません。 前述したようにSailcat は John D. Wyker と Courtland Pickett の二人によるユニットで、アルバムはコンセプト・アルバム なので、まるで映画のサウンド・トラックのような 構成になっています。アルバムの冒頭と最後にフィドルとバンジョーの演奏が差し込まれていて、まるで西部劇の馬をバイクに置き換えたような設定と組曲のようなアルバム構成が見事に成功していますが、 John D. Wyker と Courtland Pickett の二人の音楽の目指している方向が明らかに違うのが気になります。 すなわち、John D. Wyker はカントリー・ロックやゴスペルなどのルーツ音楽志向。うって変わって、Courtland Pickett はポップス志向が強いようです。そしてそのポップス志向のCourtland の為に曲を書いているのが ピート・カー であるところに大注目です。 1971〜72年いう時期に、既に後のA.O.R.を彷彿させるようなソフト・ロックの曲をピート・カーが書いているんです。 冒頭でも述べたようにシングル・カットした"Motorcycle Mama" という曲が1972年6月に全米ポップス12位のヒットになります。アルバムもそこそこに売れました。 確かハーレー・ダビットソンのコマーシャルに使われたこともヒットの要因かもしれません。アルバムもそこそこヒットして、普通ならセカンド・アルバムがリリースされてもおかしくないのに、結局出ませんでした。

何故なのでしょうか。答えは簡単です。前述したようにJohn D. Wyker と Courtland Pickett の音楽性の違いから、ユニットは崩壊したのです。ここで、問題なのがユニットとレコード会社 エレクトラ との契約の問題が残ります。 レコード会社としては、一枚目のアルバムをリリースして、ある程度の成果が得られたら、すかさず二枚目のアルバムをリリースして二匹目のドジョウを狙うのが鉄則です。

またまた、余談ですが、一枚目のアルバムのセールスがレコード会社の期待値に満たないと、レコーディング完了していてマスター・テープが完成していても二枚目のアルバムはお蔵入りになってしまいます。よくある話です。

さて、話を元に戻して、セイルキャット としての契約のため アルバムのリリース後に二枚のセイルキャット名義のシングルがあります。

1972年10月リリースの EK-45817 A面は Baby Ruth B面は B. B. Gunn どちらもJohn D. Wyker が作者です。B面は アルバム収録曲ですが、A面はアルバム未収録曲の新曲で produced by Sailcat & Muscle Shoals Sound for Widget Productions recorded at Muscle Shoals Sound Studios とクレジットされています。明らかに、アルバムとは違う環境での新録音ということがわかります。

そして1973年4月リリースの EK-45844 両面ともに Court Pickett, Pete Carr 作で Pete Carr プロデュースのマッスル録音です。

もう、お分かりですね。セイルキャット名義となっていますが、EK-45817 のA面は John D. Wyker のソロ・プロジェクト。

EK-45844 は Courtland Pickett の ソロ・アルバムの 前哨戦的な Courtland Pickettのソロ・プロジェクトです。

そして、最終的にエレクトラとの契約を履行するために、Courtland Pickett は ソロ・アルバム Fancy Dancer を1973年7月にリリースしました。 このアルバムはマッスル録音でPete Carr がプロデュース ということで、アーシーな音を期待して購入した人が必ず、ずっこけるということで有名なアルバムで、 その手のマッスル録音を求める人たちには絶対買ってはいけないアルバムの一つです。

 その後 Le Blanc And Carr として1978年に Falling の A/C #11 Pops #13 の大ヒットにより マッスルに Adult Contemporaly サウンドを浸透させる Pete Carr が既に 1973年にして、その先駆けとなるサウンドを、もうやっていたことを再評価してもいいのかと思います。

でも、やっぱりこの手の生ぬるいサウンドはマッスルには相応しくないと今でも思います。

ところで、John D. Wyker はエレクトラの契約履行のため、ソロ・アルバムを録音しなかったのか、疑問に思いますよね。

結論から言うと、録音していたんです。シングルの未発表曲はその中の一曲でした。何らかの理由で当時リリースされませんでしたが、30年の時をくぐり2002年 あのMighty Field Of Vision からJohn D. Wyker III Aka Sailcat 名義の Wild Water-ski Weekend というアルバム が 配信されています。

カントリー・ロックというよりリトル・フィートっぽいサウンドもあり、かなりロック寄りのサウンドです。

1972年のアルバム収録曲 On The Brighter Side Of It All を再録音していますが ジーニー・グリーンらのMt. Zion Singers がバック・クワィアをやっていて胸熱です。 この John D. Wyker の未発表アルバムを是非多くの人に聞いてもらいたくて、こんなに長々と書いてしまいました。

このアルバムが当時リリースされていたら 名盤としてあがめられていたことでしょう。


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