H u n g r y   C h u c k   S t o r y
by Hideki Watanabe


-------1972年、Bearsville Label にたった一枚のアルバムを残し、忽然と姿を消してしまった "HUNGRY CHUCK"。 世間一般には、 Ian & Sylvia のバック・バンド "GREAT SPECKLED BIRD" が母体で、自らのアルバムを出した・・・・ と語られる事が多いが、過去の Amos Garrett のインタビュー や Jim Colegrove から頂いた e-mail や 彼の ホーム・ページを見ていくと、違った側面が見えてくるので、ここで"HUNGRY CHUCK"のアルバムがリリースされるまでを物語ってみようと思う。

そして、最初に言っておくが "HUNGRY CHUCK" はあくまで、レコーディング・プロジェクト・バンドであって、一度もライブを行っていないという事。 バンド結成のキーパーソンはJeff Gutcheon で、次に N.D. Smart II 、そして昔から相棒の Jim Colegroveということで、 この三人が中心となり、昔関わったミュージシャンを引き込んでレコーディングにこぎつけた・・・といった感じだ。 過去の、ミュージシャン達の出会いを説明しないと理解できないと思うので、しばらくお付き合いいただきたい。

-------1965年暮れ、白人ブルース・シンガー兼ギタリスト、Mitch Greenhill の "Shepherd Of The Highways" (Prestige 7438) というアルバムの レコーディング・セッションに 当時 Jim Kweskin Jug Band のメンバー二人、 Geoff Muldaur と  Fritz Richmond が参加した。この時、Jeff Gutcheon がピアニスト として参加した。
これが、Jeff Gutcheon と Geoff Muldaur の初めての出会いである。

-------同じ、1965年、ボストンで Eddie Mottau が友人の Joe Hutchinson とフォーク・デュオ "TWO GUYS FROM BOSTON" を結成。P,P & M の Noel Paul Stookey のプロデュースでシングルを数枚レコーディングしたが、実際にリリースされたのは、一枚きりだった。 その一枚のシングルでベースを弾いていたのが、Felix Pappalardiだった。ちなみに、未発表の二枚目のシングルには John Sebastian がハーモニカ で参加していた。(余談 笑)

-------1966年、N.D. Smart II はオハイオ州、デイトンで"THE MARK V"というローカル・バンドのドラマーだったが、このバンドを辞めて、"THE NIGHTS"という バンドに加入した。"THE NIGHTS" には既に Jim Colegrove が、ボーカル兼ギタリストとして在籍していた。このバンドはすぐに、"THEE RUBBER BAND" という名前に変える。
これが、N.D. Smart IIJim Colegroveの初めての出会いである。

-------1967年、"TWO GUYS FROM BOSTON"はフォークからロックに方向転換し、公演先で知り合った N.D. Smart II をドラマーとしてメンバーに加え、N.D. Smart II が ベーシストの Jim Colegrove に声をかけ、四人組のユニットとなる。 バンド名は "THE BAIT SHOP"、次に "BO GRUMPUS" に名前を変えた。

-------同じ、1967年、Jeff Gutcheon が参加していた、"THUNDERGRIN" というバンドが Epic Label でシングルをレコーディングした。 両面ともにJeff Gutcheonのオリジナルであったが、全くヒットしなかった。

-------1968年、"BO GRUMPUS" は Atco Records からデビュー・アルバムをリリース。プロデュースは、当時 "CREAM" のプロデューサーとして有名になっていたFelix Pappalardi。 レコーディングの途中で N.D. Smart II がバンドを脱退し、"KANGAROO" のドラマーとなる。N.D. Smart II の代わりは "HELLO PEOPLE" のドラマーだった Ronnie Blake。 後に、まさか N.D. Smart II が "HELLO PEOPLE" のメンバーになるとは・・・・(余談 笑)

-------同じ、1968年、"THUNDERGRIN"は、リード・シンガーの交代にともない、名前を "JESSIE'S FIRST CARNIVAL" に変更。グリニッジ・ヴィレッジにある Cafe Wha? という クラブでライフを行っていたが、同時期、"BO GRUMPUS"、"KANGAROO" もそのクラブに出ていたので、そこで、Jeff GutcheonJim ColegroveN.D. Smart IIの三人が出会っていた。

-------同じ、1968年、カナダで、Ian & Sylvia のバック・バンド "GREAT SPECKLED BIRD" が結成される。メンバーは、カナダの男三人、女一人のフォーク・グループ "THE TRAVELLERS" のバックをやっていた、ギターの Amos Garrett、と同じく、ドラムの Rick Marcus、そして、その昔、Richard Manuel (The Band)や John Till (Full Tilt Boogie Band)と "THE REVOLS" という バンドを組んでいた、ベースの Ken Kalmusky。そして、Jim Kweskin Jug Band のバンジョー奏者、Bill Keith が スティール・ギターをマスターして 初めて スティール・ギター奏者として参加した。ちなみに"THE TRAVELLERS"のセッションが Amos Garrettの初めてのセッション・ワークである。

-------1969年、"KANGAROO"解散により、ソロになったBarbara Keithの初アルバムのレコーディングがニューヨークで行われる。プロデューサーは Peter Asher。 "KANGAROO"の元メンバーとしてN.D. Smart IIがドラム。ベースはSmartの友人である、Jim Colegrove。"GREAT SPECKLED BIRD"の初期メンバー、Bill Keith が スティール・ギター。 そして、一曲、曲も提供しているJeff Gutcheonがキーボード。Gutcheonもいた"THUNDERGRIN"のギター奏者だった、Richard Curtisがリード・ギターであった。
Jeff Gutcheonが、Jim ColegroveN.D. Smart IIと最初に一緒に演奏したレコーディング・セッションである。

-------同じ、1969年、Jim Kweskin Jug Band 解散後、夫婦ユニットとなった Geoff & Maria Muldaur がニューヨークの Jerry Ragavoyの所有する Hit Factory Studio で、Ragavoy のプロデュースで "Songs From Hit Factory"というタイトルのアルバムをレコーディングする。 当時、同スタジオで働いていたJeff Gutcheonは、 Geoff Muldaurと旧知の間柄でもあり、当時、作曲家としてヒットを狙っていた、Jeff Gutcheonは、自信作、"All Bowed Down"をGeoff & Mariaに提供し、この曲の レコーディングにも参加した。アルバムは完成したのだが、その出来栄えにGeoff Muldaurが不満を抱き、当時、Reprise Records の社長であった Mo Ostin に直訴し、 このアルバムをお蔵入りにして、昔のルーム・メイトであった Joe Boydをプロデューサーに迎え、ボストンで急遽レコーディングして完成させたのが、 "Pottery Pie"である。レコード番号もそのまま、ジャケットも時間がなかったので、 "Songs From Hit Factory"のジャケットをタイトルだけ変えて間に合わせた。 ギターの Amos Garrett、ドラムの Rick Marcus、Jim Kweskin Jug Band時代の仲間、Bill Keith が スティール・ギター。Mothers Of Inventionの Billy Mundi もドラム。(元祖 "GREAT SPECKLED BIRD" から三人参加ということになる。) そして映画のサントラにも使われた、名曲 "BRAZIL" で口笛とトランペットで、 Peter Ecklundが参加している。 これがAmos GarrettPeter Ecklundの最初の出会いである。

ちなみに、ヒットを狙っていたJeff Gutcheonは、"Songs From Hit Factory"がお蔵入りされて、相当落胆したようだ。

-------同じ、1969年、"GREAT SPECKLED BIRD"のメンバーのうち、Bill Keith が Buddy Cageに、Rick Marcus がN.D. Smart IIに交代した。 そして、これが、Amos GarrettN.D. Smart IIの初めての出会いである。

-------1970年、三人組のロック・バンド、"GREAT JONES"のボストンでのレコーディングにJeff Gutcheonがキーボードで参加する。 Geoff & Mariaで発表出来なかった、"All Bowed Down"を提供し、なんとアルバム・タイトルにもさせたが、結局ヒットしなかった。

-------同じ、1970年、大阪で行われた万国博のカナダ館で Ian & Sylvia with "GREAT SPECKLED BIRD" が演奏する。このIan & Sylvia のバックの仕事を最後に Amos Garrettは "GREAT SPECKLED BIRD" を脱退し、カナダからウッドストックに移住してくる。Amos Garrett の後釜はカナダのギタリスト David Wilcox (同性同名のカナダのシンガー・ソングライター・ギタリストとは別人なので要注意)、そして同時期 Buddy Cage もBen Keithに交代し、 さらにJeff Gutcheonが参加する。これで、Jim ColegroveN.D. Smart IIJeff GutcheonBen Keithの四人がそろった。

-------1971年、Jeff Gutcheonは相変わらず、ニューヨークの Jerry Ragavoyの所有する Hit Factory Studioでセッション・ミュージシャンとして 働くかたわら作曲もしていた。

ところで、Jeff Gutcheonは実は多才な人で、
@ ロック・ピアノの教則本を二冊だしている。
A アメリカンキルト(パッチワーク)のコレクターとして有名でも出している。
B インテリア・デザイナー。

そして、"HUNGRY CHUCK"結成には、Bの才能が関係してくる。Jerry Ragavoy の下で働いていた Art Polhemus というエンジニアーが、自身のスタジオ (Co-ordinated Sound) を建てた時、スタジオの内装デザインをJeff Gutcheonがただでやってあげたのだ。Art Polhemus は "KANGAROO" のプロデューサー兼エンジニアだった人で、 Jeff Gutcheonにお礼にということで、スタジオをサウンド・チェックも兼ねてただで一定期間使っていいと言ってくれた。 自身のアルバムを出したいと思っていた、Jeff Gutcheonはすぐに、N.D. Smart IIJim Colegroveに声をかけた。"GREAT SPECKLED BIRD"の 仲間であるBen Keithも呼ばれ、ギターはN.D. Smart IIの推薦でAmos Garrett。トランペットはAmos Garrettと一緒に"Pottery Pie"のアルバム に参加してたPeter Ecklundが呼ばれた。 プロデューサーは自分達、すなわちJeff GutcheonN.D. Smart IIJim Colegroveの三人と、経験が無くて、不安だったので、昔Jeff Gutcheonと一緒の "THUNDERGRIN"のバンドのベーシストで、当時はプロデューサー、エンジニアとして活動してた Jon Child (既に、Karen Dalton "In My Own Dream" のアルバムで活躍してた)に、プロデューサー兼エンジニア として参加してもらった。 それまでにJeff Gutcheonが書き溜めていた5曲を Co-ordinated Soundでレコーディングしたところで、期限が切れてしまった。そこで、この5曲のテープを持って、N.D. Smart IIJim Colegroveの二人がウッドストックの Albert Grossmanの元に行って交渉。 Bearsville Label と二枚分のアルバムのマスター・テープを渡す契約を取り付けた。 (ウッドストックに突然やってきたBobby Charlesを不動産屋の前で偶然発見し、Albert Grossmanの元に連れて行ったのもN.D. Smart IIJim Colegroveの二人だった 余談 笑) ウッドストックのBearsville Sound Studioでレコーディングが再開したが、Jeff Gutcheonの曲があと2曲しかないので、 N.D. Smart IIJim Colegroveの昔の友人、Joe Hutchinson に声を掛けて、2曲がレコーディングされた。 あと2曲N.D. Smart IIが得意のサウンド・コラージュを2つ作って"HUNGRY CHUCK"というアルバム・タイトルのコンセプトに味付けをし、Bobby Charles から教えてもらった"South In New Orleans"をレコーディングした。Bearsville Sound Studio では、Garth Hudson、 Geoff Muldaur、 Paul Butterfield 等の地元の ミュージシャン、昔の仲間がレコーディングに参加してくれた。Jeff Gutcheonは "All Bowed Down" のシングル・リリースを希望したが、シングルの候補になったのは"South In New Orleans"で、 B面は "Dixie Highway" であった。アルバムもシングルもヒットする事なく、Jeff Gutcheonの長年の夢は敗れ去った。

-------1972年、Bearsville Labelとの契約を履行するために、すぐに二枚目のアルバムのレコーディングにとりかかるが、Amos Garrettがセッション・ギタリスト として多忙で、なおかつ Paul Butterfield の Better Days に参加するため、途中で離脱した。後釜は当然のごとく当時"GREAT SPECKLED BIRD"のギタリストだったDavid Wilcox。 今回は、Jeff Gutcheonの曲が3曲の他に、Jim Colegroveの曲が2曲、N.D. Smart IIの曲が2曲(うち一曲はBen Keithとの共作)、と Gutcheon以外のメンバーも曲を書いていた。そして、注目すべきは Danny Douma が一曲書いている。Danny Douma は Hello People と親交があったみたいで、その関係か。 数年後、Danny Douma のアルバムにAmos Garrettが参加することになる。(余談 笑)

さて、せっかく録音された二枚目のアルバムだが、1枚目のセールスが芳しくなかったので、お蔵入りの憂き目にあう。 よくある話だが、同じ Bearsville Labelのチームメート、 Lazarus が1枚目のセールスが悪くても二枚目がリリースできたのは、やはりプロデューサーの力量なのか。 Lazarus のプロデューサーは Peter Yarrowと Phil Ramone。Peter YarrowはAlbert Grossmanから息子のように可愛がられてたのでしょうがないのか。 Peter Yarrowの母親が画家で、ウッドストックに昔から住んでいた。Peter Paul and Mary のマネージャーだったAlbert Grossmanを初めてウッドストックに連れてきたのは Peter Yarrowだ。いっぺんでこの地を好きになったAlbert Grossmanは、ここから、この地でいろいろなプロジェクトを始めていく。(余談 笑)

-------1974年、Hello People の"The Handsome Devils" のアルバムに、"HUNGRY CHUCK"未発表二枚目に収録されるはずだった、Jeff Gutcheonの書いた曲 "Listen To Your Heart"が収録されている。とてもポップな曲でヒット性の高い曲だ。

-------1975年、Hello People の"Bricks"というアルバムに、一曲、Todd Rundgren の名曲 "It Woouldn't Have made Any Difference" にDavid Wilcoxがリード・ギターで参加。 Eddie Mottau が昔 Hello People のメンバー二人と共作した曲 "Pass Me By" を再収録。そして"HUNGRY CHUCK"未発表二枚目にも曲を提供していた Danny Douma の 曲を2曲も収録。・・・ということで、N.D. Smart IIの関わりの深い人達がいっぱい参加しているアルバムだ。

-------1978年、Jim Colegroveがソロ・アルバム "Panther City Blues" を発表。ピアノにJeff Gutcheonが参加。Joe Hutchinson が曲を提供。

-------"HUNGRY CHUCK"解散後、N.D. Smart IIは Todd Rundgren の Runt Bandを経て、Hello People のメンバーとして活躍。 Jim Colegroveは ウッドストックに残り Rhythm Blue Jays、 JOOK を結成するもアルバム・リリースにまで辿りつけず、故郷に戻り Little Whisper & The Rumors を結成するも又も、ダメ。やっと The Juke Jumpers というバンドでアルバム・リリースができた。

-------1997年、Jim Colegroveの呼びかけでN.D. Smart IIJeff GutcheonAmos GarrettJim Colegroveの故郷 Fort Worthに集まり、 6曲レコーディングした。しかし、アルバム・リリースまで至らす゛プロジェクトは頓挫した。

"HUNGRY CHUCK"未発表二枚目のアルバムのうち "Celia" "Box Office Disaster" の2曲は、その後 "Bearsville Box" に収録され、その後ボーナス・トラックとして オリジナル・アルバムに収録されているので、簡単に聞くことができる。まだ、出来のいい曲が多数あるので、なんとか1枚のアルバムの形でリリースされる事を 願うものである。

ミュージシャンの出会い、別れ、再会と、やはりミュージシャンどうしの絆の深さを感じる。 "HUNGRY CHUCK" というレコーディング・プロジェクトに集まったメンバー6人、プロデューサー、エンジニア、ソングライター、バック・ミュージシャンのいずれも 過去に、いろいろな出会いの末に集まった仲間であり、偶然集まったのではなく、必然的に集まった仲間で作られたアルバムである事を知って、もう一度 アルバムを聴くと面白いかも。特に"All Bowed Down"を世にだしたかったJeff Gutcheonの執念。そしてその第一歩をつぶしてしまった Geoff Muldaur のJeff Gutcheon に対する、すまないという気持ちが Geoff & Maria の二枚目、"Sweet Potatoes" のセッションにJeff Gutcheonを呼び、曲も提供してもらい、なおかつ、その曲を アルバム・タイトルにする等、Jeff Gutcheon に対して昔の借りをきっちり返すところ等、そんな事を考えると考え深い。




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